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家庭教師の先生が亡くなった

 8月24日は、私の先輩の命日です。今年で9年になります。いつも言っていますが、時が経つのは、早いですね。生きていれば25歳かな。先輩は、永久に17歳であり続けるわけですね。永遠なんてないのに、彼女は永遠に人の心で生き続ける。

 

私は8月のこの週はあまり好きではありませんでした。というのも、先輩が亡くなった日を鮮明に思い出すので。茹だるような暑さ、突然の死亡報告、前日の夜に家に来ていた救急車、遺体を触ったこと……ぜんぶ思い出せます。

そんな中、うたプリの映画に沢山通っていたのですが、8月19日辺り……でしょうか?市内で火事があって。母が『先生の旦那さんって名前なんだっけ?』と聞かれたので『……忘れちゃったけど、どうして?』って聞き返したら『多分報道で知ることになるから、今言っておくけど、先生の家、火事にあったみたいで……○○って先生住んでるところでしょ?』

 

え……?と思い、私は検索かけました。すると、1時間前、5分前の記事があり、まだ事件から時間はそう経っていないのだな……と思いながら、1番上にあったリンクをクリックしました。NHKだと思います。

未明に火事があった。奥さんの声で旦那さんは逃げたものの、奥さんとは連絡がつかない。2時間後に火は消し止められ、2階から遺体が発見された。奥さんが逃げ遅れたとみて捜査を続けている。

大まかに書くとこんなことが書いてあって。奥さん、つまり先生の名前と年齢が出ていて、いや、○○に住んでて同姓同名はおらんやろ……と、もうわらにも縋らなかったです。希望もなにもなかった。出先でしたが、ショックで泣いてしまって。でもその日もうたプリの映画のチケットを取っていたし、見に行かなくてはならなかったので、もやもやを抱えたまま、映画館に行きました。ロビーの椅子に座っても、気になって仕方がなくて、先生の住所を検索しました。そしたら、事故物件を紹介している『大島てる』が出てきて。そこで、血の気が引きました。恐る恐るクリック。普通の地図ではわからんので、航空画像に切り替えると、大島てるの炎のアイコンがある場所は、先生の家。そう、見慣れた光景がそこにはあって、確実に先生の家だとそこで知らされた感じで。手が震えて、動悸がして、ロビーなのに泣きそうで、辛かった。こんな時に限って、抗不安薬を忘れてくるとかバカすぎる。そんな気持ちでうたプリをみました。予告も頭に入ってこないし、というか、なにも見たくなくて、本編が始まるまでずっと、頭を抱えていました。

音也が『永遠なんてないって分かってるから今を大切にしたい』(セリフ間違いはすみません)真斗が『限られた時間だからこそ……』これを、この夏、12回も聞いていたんですけど、もしかしてプリンス達は、私に教えてくれていた……?のだろうか。そう思ったら泣いてました。

家に帰ってからも定期的に検索かけて続報はないか調べてました。1人になると涙が止まらず、結果夜は眠れなくなってしまいました。

そして24日。先輩の命日です。が、おくやみに先生の名前がありました。

どうしてだろう、と、どうしてこの時期に大切な人を亡くさなきゃならないんだろうと。私は8月が心底嫌いです。

 

家庭教師を雇ったのは、中2でした。それまでは学習塾に通っていたのですが、いかんせん視線が気になったり(社会不安障害の賞状が出ていた)で、限界に達してしまって、塾に行くのが怖いってなってしまいました。じゃあ家ならば問題ないだろうということで、家庭教師を付けてもらったわけですが。1番初めに来た先生から、『理数はもっと得意な先生がいるから、紹介しようか?』ということで、理数担当の先生も付けてもらいました。それが、今回亡くなった先生です。2人体制で教えてもらうことになり、中2の冬から担当してもらいました。最初の先生と先生は高校大学の同級生です。どっちも県内で頭のいい女子校出身です。そしてどっちも県立大学出身。すごく秀才な方々でした。

その時の私は、部活の問題、親の問題、成績の問題、病気の問題と四重苦も抱えていました。空き時間に、部活の悩みを打ち明けてから、というのも先生とはすぐに打ち解けました。先生は現役の教師で、普通に学校で理科を教えていたり、私立高校の先生だったり。ので、教え方はすごぶる上手いです。理数がバカだった私も点数が伸びました。勉強はもちろんの事なのですが、先生は私の私生活にも真摯になってくれました。特に母親が目の前で暴言を履いたところは、私を守ってくれました。その頃の母は、私を所有物扱いでした。正直高校も母の希望に添えなければ、あまり良い顔はされません。私は絵が好きだったので、デザインが学べる県立高校を志望していたのですが、身体が弱いこともあって、無理ではないかという話になりました。そして私立高校のオープンキャンパスに行っていい感じだったのと、先生も教鞭を取っていた、娘さんも通っていた、学習環境としては悪くない。ということで、県内では有名な女子校を受験するように決めましたが、それをどうやって母に伝え、三者面談で水を刺されないようにするか……。先生は『授業が終わったらお母さんに言うから』と言って、『進路は決まりました。お母さんは三者面談で絶対に口出さないでください』と言ってくれました。そのおかげで、三者面談は落ち着いて話すことが出来ました。

先生は私の絶対的な味方でした。そして高一の時、抑うつになって。実は心療内科に連れて行ってくれたのは先生でした。なにせ母親は自分の子供が抑うつになっても仕事がーと言って病院に連れて行ってくれなかったので。もう半分親に近い感覚ですね。先生は電話をかけても、出れる時は話を聞いてくれて、私のことを分かってくれていて。唯一の理解者だったと思っています。高二で転校して、大学の進路はすごく悩みました。薬剤師になりたい夢。どうなんだろうって。出欠が重視される、薬学部は厳しいのでは?とか。そんな中で、私は絵を描くのが好きだったので、そういう学部に行けたらな〜なんて言うのも零してました。1週間くらいして、先生がパンフレットを持ってきて、『ここなら、あなたのやりたいことができるんじゃない?』と、大学を教えてもらいました。私もここだと思って、受験しました。まあ結果として中退してしまいましたが。中退しても、私のことを常々気にかけてくれていて、本当に優しい人だった。

先生は肺がんになって、肺をとったり、乳がんになったり、苦労しています。よく言っていた言葉が『私は生かされている』。先生も、姑さんと色々あったりして、本当に苦労しています。もっと言うと自分の娘息子とも。でも先生は全然教師らしくないんですよね。見た目は生真面目に見えますが、話すと面白い。

先生、東北大学の薬学部を『なんとなく』で受験したんだって。『なんとなく』だから他意はないんですよ。そしたら落ちたって。『すごく試験内容難しかったな〜?なんで、薬学部なんて受けたんだろうね?本当は理学部だったのに』。すごい、こんなこと笑って言ってみたい人生だったわ。落ちたから、県内の国立大学に入って首席だったとかなんとか……。理数が強い先生ですが、スピリチュアルや、霊感のような、目に見えないものもこの世にはあると言っていました。科学では照明出来ないものが、この世には沢山あるとも。初めて聞いた時、目ん玉飛び出るかと思いましたよ。だって、理数の先生が、非科学的な事を信じているんだもん。海馬瀬人が聞いたらビックリしそう。不思議な人だと思いながら、先生と談義するのは楽しかったです。談義も、政治だったり、宗教だったり、あまり人前で話せるような内容ではないですが、大人と談義ができるのは、僕にとってはすごい良い時間でした。

先生は、動物も可愛がっていました。私の家も、犬が1匹いましたが、家に来る度、いつも可愛がってくれて。うちの犬も懐いていました。そんな先生は、教師の傍ら、動物保護もしていて、お家に猫や犬を保護していました。高校生の時、『あれ?先生なんか痩せた?』って聞いたんですよ。もともと細身だけれども、とくに首周りが痩せていたように見えたので。『犬を10匹保護してて、朝、夜って散歩してるから、食べても痩せちゃうんだよね〜』って笑って言っていたことを思い出します。

 

27日が告別式なので、もちろん最期の別れをしてくるのですが、本当につらいです。去年じいちゃんが亡くなった時は、もう老衰に近い状態だったので、そんなに悲観的にはなりませんでした(とはいえ葬式後鬱になりましたが) どうしてこうも、同じ時期に大切な人を亡くさなきゃならないんだろうと。特に、先生は火事なわけですが。京アニも火事でしたが、まさか自分が火事で人を亡くすとは想像もつかなかったです。映画おっさんずラブ見た方ならわかると思いますが(唐突)。「同じ日はこない」そうだなって。今日という日は二度とこないんだから、会いたい時に会うべきですね。僕も先生とは中退してから3年くらい会ってなかったので、後悔が残っています。それが人生なんでしょうが。

 

最後に、先生に言われて嬉しかった言葉を。

『あなたの文章は情景が思い浮かんでくるから読んでいて楽しい』

これ、すごく嬉しかったです。まして教師に言われたので。

 

先生、どうか天国で安らかに。

 

追記(2019年9月3日)

27日、告別式に参列してきました。先生の娘さんから葬式の予定表の写メを貰っていたのですが、通夜の前に火葬ということで、当然ですが棺はありませんでしたし、骨つぼが上がってありました。やはり教員ということもあって、参列者が多かったです。遺影の先生は笑っていました。焼香の時、ちょうど先生の遺影と真正面の場所にきて、『あれ、先輩の時もこうやって顔を見れたんだよな……』って不思議な気持ちに。しかし、顔を見ると言いたいこととか忘れてしまって……本当に感謝を伝えられたのかは分かりません。

それから、喪主の挨拶があって、先生の旦那さんがお話していたんですけど。私は、保護した犬猫が気がかりで逃げ折れたのかなって。ところが、旦那さんが寝ていた仏間のすぐ近く、手を伸ばせばすぐそこに先生のご遺体はあったそうです。そこで意識無くなってしまったのかな……とか、そこまでやっとたどり着いたのかなとか考えると涙が止まらなくて。そして、そのご遺体。京アニじゃないですけど、先生もDNA鑑定が必要な程、遺体の損傷が激しいかったそうです。旦那さんもこれは時間がかかるなと覚悟していたそうですが、近くの歯医者に歯型のカルテ?があって、歯型で一致したらしいです。どっちにしたって、先生の最期にしては惨たらしい……。先生の遺影は笑顔ですが、家も全焼なので、アルバムとかもなく、旦那さんが撮った写真だそうで。でもいい笑顔でした。

1週間どころか何日も経っていますが、依然として悲しみは収まりません。考えるのは死生観のことばかりです。

私は中学の時に、人生はシナリオで決められている。これこれこうしてこうなる。そういう運命なんだと思っていましたが、そうではなく宿命なんでしょうね。運命は変えられますが、宿命は生を受けた時から決まっています。これは変えられません。つまり先輩も先生も、そういう宿命なんだろうなって。まあ、シナリオで決められているって考えは今でも変わらないのですが……。個人的な解釈ですが。

 

先生はゆっくり休んでください。ありがとうございました。