星屑ロンリネス

病気 趣味 雑記

難病になってしまった

はい。なんとか生きています。

私は難病の診断がくだりました。

遡ること昨年の四月。もともと、手首は腱鞘炎を患っていました。絵を描いたり、ドラムを叩いたり、手を使う作業をすると手先が痺れて気持ち悪く、その日総合病院の整形外科に行きました。予約なくても入れてくれて、診察に。「10年も腱鞘炎なんですよね〜」なんて笑って言って、まあ腱鞘炎だね、注射でも打とうかと言われると思ったのですが、先生(後の主治医)は、私の手のひらばかり見ていて。親指の膨らんだところの付け根を指し、「赤くなったりする?」と聞かれて、「まあたまにありますかね」「じゃあ血液検査とレントゲンしようか」

 

え? 血液検査? なんで? あっ、手のひらが赤いと肝臓が悪いとかそういうのでしょ。肝臓の病気疑われてるのかな〜と思いながら、待合室で検索かけると「膠原病」とかそういうのが出てきて。いや、まさかねえな、と。諸々の検査を終えて、また診察。父も同伴だったので、父も同じく「腱鞘炎が酷くてですね……」なんて、腱鞘炎押しまくりだったんですが、「腱鞘炎ではないね」と言われて。血液検査の結果も、炎症反応があり、「次回いつ来れますか?」と次回の話。え、腱鞘炎でないのならなんなのよ。その炎症反応ってなによ。まあ色々聞きたいことはあったのですが、その日はビタミン剤とか貰って終わり。CRPっていう項目が高かったのですが、調べてもよく分からず。いったいなんの病気を疑われているのか……。

 

そして、4週間後、再来。手首とか腕は相変わらず痛い。

「体操ってやったことある?」「いや〜文化部だったので体操はちょっと〜」なんて馬鹿な反応をしてしまって「長座前屈とかだよ」「ああ!全然ダメですね。身体硬いので」「でんぐり返りは?」で、でんぐり返り!?「え……、そう言えば正しいフォームでやってもいつも首が痛かった気がします…」

この問診なんなんだ。長座だのでんぐり返りだの、関係あるのかよって感じで、堪らず「なんの病気疑われているのですか」って聞いたら、白い紙を取り出して赤ペンで、『強直性脊椎炎』とさらさら書いて。

……は?知らんぞこんな病気とか思ってたら、「まあこれだと思うんだけど確信がまだね」って。そこから、まあ強直性脊椎炎というかリウマチ?の薬が投与される。家に買って調べると、難病だといって、人口も少ない。いや〜まさかねえ、ないでしょ笑とか思って居ても、肩とか腕とか手首は痛いまま。

 

次の診察、採血をするとCPRが高い。

「まあもう強直性脊椎炎なんだろうけどね、あと一押しなんだよなぁ」と言われる。そして今の薬が全く聞いていない。特に痛み止めのロキソニンボルタレン。ので、「いくらまで出せますか?」と、主治医が父に問いかける。いくら出せますかなんてそんなチケットのやり取りじゃあるまいし……。なんと、生物学的製剤というものを使うと、この病気の痛みなどは改善するとかしないとか。主治医はなぜ改善かれるのか分からないと言っていたけれども。まあ1本3万すると。それを隔週2回やれば6万かな。考えてみますでその時は終わりました。

は〜、難病って金かかるんだなぁ。好きでなった訳じゃないのになぁ。と思いながら、父親が「なんとかしましょう」と言ってくれた。

そして次の診察まで、私は強直性脊椎炎について調べた。強直性脊椎炎だと言われた人は、子供の頃とか何かあったのだろうか、とか。調べると数は少ないものの、出てくるのでひとつひとつ読んでいく。すると、自分と似通った人達がいることに気づいた。

まず、私は小学生の1年生の頃から、脚が痛かった。夜に痛くなり、父親に脚をマッサージしてもらっていた。中学年にあがると、成長痛かな?と思い始めていたが、痛みが凄まじい。というか夜は歩けないくらいには痛かった。湿布をベタベタ貼って、朝も痛くて、良くなるのは午後……。まあでも、成長痛ってみんなあるだろうから、みんな耐えてるんだろうなって、自分だけではないって思っていた。マーチングや吹奏楽をやっている自分にとっては、辛いものがあったけども。特に異常だとは思っていなかった。高校生になると、その成長痛は夜だろうが朝だろうが立てなくなってしまい、学校を休むこともあった。今思えば、成長痛で学校を休むなんてちょっとおかしいとは思うけど、当時は別にって感じだったな。あとは中学生から下痢が酷くて。今でもだけど、ほぼ毎日下痢だった。過敏性腸症候群なんて言われたけども。そして、旅行や中時間歩いていると、踵が本当に痛い。疲れてないのに、踵が痛くて旅行中ホテルに戻ったこともしばしばある。

上記の事を、次の診察で伝えると、主治医は確信したようで、強直性脊椎炎ですねと言った。

それから、難病なので、医療費の助成が受けれるということで、申請を出しておきましょうとなった。診断書は一緒に見て書いていった。チラッとみると、私のレントゲンが貼られていて、所見があったみたいだ。

トータルスコア的な物も悪いし、脚は歩行困難ではないけれども、それでも中時間出歩いていると帰るにも一苦労、場合によっては親を読んで迎えに来てもらうこともあったので、そこそこ歩行に難ありにチェックを付けてもらった。ただ、申請出したからといって、必ず通るわけではないからねとは言われた。それはそうだろう。医療費を助成してくれるのだから、軽症だったり、診断基準を上回ってなければ落ちるだろう。

申請を出しだのが確か9月だったかな、10月かな。まあその辺。出した保健所によると、4ヶ月かかりますかね〜とのこと。まあ仕方ないな、こればっかりは。

そして、今月、初めてヒュミラを打ちました。

主治医も無理強いはしないので、受給者証が来るまでは、月1回でやって行こうかと。正直1回打っただけでは、良くなったというか改善点はあまりないが。 

そんなこんな過ごしていると、県から受給者証が届いた。おお、これかぁ。


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ちゃんと強直性脊椎炎と書いてある。

これがあれば、医療費は助かるな。なにせ、自分だけで医療費が凄いので、親の負担も大きい。なにより難病となると、すぐ治るような病気ではないので、まあこれから付き合っていくわけだし。受かったのは嬉しい。ほかの難病の方で申請が落ちたなんて見かけたので、自分もそうなるんかな〜ひよっこだしと思っていたけども、早期発見ではないからなあ。それが良かったのかな。

 

まあこの受給者証は見覚えがあって。私のじいちゃんも難病を2つ患っていたんですね。突発性血小板減少なんちゃらってやつと、再生不良性貧血。私はじいちゃんの受診をお手伝いしてたこともあったので、会計にこれを出したりとかして。そういうので覚えがある。本当に、ウチの親族ってなんなんだろう。私とじいちゃんは似ている。体も丈夫じゃないし、難病だし。じいちゃんと私以外は、病気にはなるものの健康ではあるから。2人だけなんかあるんかな。

 

ま〜、そんなことで、難病になってしまいましたね。別に悲観してないし、いいんだけれども。ただ患者数が少ないこともあり、患者のブログが無いのもあって、情報集めがしずらいのはあるわね。潰瘍性大腸炎の患者数は20万人いるみたいなんですけど(もこうの動画で知った)、強直性脊椎炎はサイトによってマチマチだけど3万人くらいしかおらんとか。サイトによって違いますけど。希少価値やな、ある意味。

でも、潰瘍性大腸炎のもこうも悲観せず生きてるしな。もこうの潰瘍性大腸炎に患った時の話聞くの好きなんですよね。

喘息やアトピー精神疾患、婦人病と色々病気なんですけど、まさか難病にはならんやろ笑と思っていただけにビックリですな。

 

でも、まあ、死ぬ訳では無いので、頑張って生きていきましょうね。