星屑ロンリネス

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先輩が自殺した話

もう7年にまります。わたしの先輩が自殺して。

それは中3の頃。その日は部活で定演も合って、顧問は気合が入ってた。わたしは手首を痛めた(打楽器をやるものとしては致命傷なのだが)のと受験の模試で、結構部活を休んでいた。久しぶりにくると「お前なんなの?」って挨拶もなしに言われる。朝っぱらから説教食らう。お前は何もするなと言われ、部活中ぼーっとしてた。けどわたしのパートを変わりに入った子が出来なくて、結局わたしがやるっていう。とにかく顧問は元々嫌いだったからムカついてた。練習が終わって、3年生だけ残ってください、って言われて。

 

「昨夜、〇〇先輩が心臓の病気で亡くなりました」

 

は?

 

わたしは、先輩と近所だった。10秒で家に着くくらい。先輩が越してきたんだけど。先輩との直接対面は小学生の時のマーチングだ。怖い、と思いながらも、練習に付き合ってくれたした。厳しい、すごく厳しいんだけど、優しいところもある。中学に上がって吹奏楽に入ると、やっぱり先輩がいた。先輩はわたしだけ名前を呼び捨てで呼んでた。他の人はちゃんを付けたりして。そしてよく目をかけてくれた。いつもスティックの持ち方を指摘されるのが癖だ。でも褒めてくれるときは褒めてくれる。たまに頭ぐしゃぐしゃにされたりして。

先輩が高2になって、彼氏ができていた。だって家に帰る時、先輩の家の前通るから分かる。たまに会うと声をかけてくれる。自殺した前日も、先輩は自分の弟と遊んでた。

その夜、先輩の家に救急車が来ていた。父は仕事だったのでその脇を通るのだが、後から聞いた話、警察が来ていたと。わたしは、先輩のお父さんかお母さん…ありえないけど弟とは同級生なんだけど…かな?なんて呑気に思っていた。思っていたのだ。

 

目の前が真っ暗になって、昨日の光景がフラッシュバックする。過呼吸になってしまった。そして涙が止まらなかった。

「告別式は定演と被ってますが、先輩の分だと思って頑張りましょう」

 

顧問はわたしを残した。

「あなたが出来ることは、先輩の分まで演奏することです。明日から練習に参加していいですよ」

ぶっちゃけぶっ殺そうかと思った。お前に、わたしと先輩の関係の何がわかんねん。貴様に何がわかるんだ!って叫びそうになった。クソがってなった。通夜は打楽器の代表で行く事になったのだが、わたしは近所という事もあり個人で行く。

その日は暑かった。とにかく暑くて、フラフラしながら、受け止められない現実をグルグル考えながら、でもどうやって家にたどり着いたかは覚えてない。家に帰って、親父がいたから、報告しようと思って、声を出そうと思ったんだけど、先に涙が出てしまい、なかなか発せずにいた。「先輩が…死んだんだ…」「知ってる、回覧で回ってきたし、じゃあ行くか」どこに…?わたしは先輩の遺体が安置されてる家に行った。先輩のお母さんにも随分マーチングの時お世話になってたので辛い。お母さんが出迎えてくれて、先輩が寝てる所に通された。絶叫してしまった。脚が竦んで、近くに寄れない。だって産まれて初めて遺体を見たのだから…。お母さんも触ってあげてって言うから、近くにいく。

なんだ……寝てるんじゃん。制服着て寝てるだけじゃん。これのどこが死んでるの?おかしい。ご飯に箸なんか刺すなよ。縁起でもない。先輩生きてますよね…?先輩って言ってみても反応はない。恐れ多いと思いながらも、先輩のおでこを触ってみる。まだ暖かかった…。それは残りの体温なのか、気温のせいなのかよく分からない。帰りにお父さんが来て、お世話になりましたみたいな会話をした。そして生前好きだったリプトンのレモンティーと伊右衛門を貰った。伊右衛門に違和感を感じる。

家に帰っても涙が止まらなかった。そしてテーブルには伊右衛門が置いてあった。わたしの手のひらにも伊右衛門。なんなんだろうと思った。お母さんが帰ってきて話したら、泣いていた。

通夜。わたしはこの歳まで葬祭とは無縁だった。開場に行くと遺族が出迎えてた。弟(同級生)の顔も死んでた。あんな顔見たことない。会場に入ると、小学生のマーチングの先生がわたしを呼んでいたので隣に座る。なんと言ったらいいか分からないなんて会話をした。遺影の先輩は笑ってた。そりゃそうか。坊主の読経をぼーっと聴きながら、焼香の時間。なんの因果か、わたしは先輩の顔がバッチシ見える、棺桶の目の前だった。家で見た時より、顔色は悪いし、これが先輩なの…?って思った。帰りの車でも泣いていた。リプトンと伊右衛門の空瓶は窓際に飾っておいた。

親父の会社の人に先輩の親戚がいた。他言無用なんたけど、実は自殺なんだ。と。家に帰ってそれを聞かされて、身体が震えた…。どうしてそんなことしたの!先輩は彼氏だっていたし…好きな音楽だって楽しくやってたじゃん!どうして…どうしてなの…。愕然となった。それからわたしは死について考えた。考えすぎて眠れない時もあった。ネットで死のことばかり検索していた。

 

8月25日は必ず思い出す。先輩のこと。自殺の事を突きつけられたこと。暑かったこと。

もう先輩の歳はだいぶ越してしまった。今生きてれば24歳なのかな?わたしは引っ越してしまったので、もう先輩との繋がりはない。けれども沢山お世話になったし、沢山技術を盗んだし、心の中でいつも語りかける。どう頑張っても忘れることの無い出来事。自殺の爪痕ってこんなにでかいんだ…。もしかして去年自分が自殺を思い留まったのは、先輩のお陰なのかな、なんて。そう思います。

 

ありがとう、先輩。